>  > RS-R サスペンション スターレット EP82 1300 TB [01/12~7/11] RSR DOWN リアのみ
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RS-R サスペンション スターレット EP82 1300 TB [01/12~7/11] RSR DOWN リアのみ

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 江戸時代の鉱山というと佐渡の金山が有名ですが、薩摩藩も資源大国でした。今でも菱刈金山が世界的に有名です。現在では稼行していない藩政時代の鉱山の記載を以下に載せておきます。探鉱の苦労や栄枯盛衰がよく分かります。この項の資料についてはすべて浦島幸世鹿大名誉教授のご教示によります。記して謝意を表します。

凡 例

  金(Au)

  銀(Ag)

  銅(Cu)

  鉛(Pb)

  錫(Sn)

  硫黄(S)

 出水郡

平岩御試(Ag)

右加世田預り郷士知覧居住種田元峻事去ル酉八月依頼、御領国中諸所銅山自分失脚を以、試掘御免被仰付置候処、其後支配人被相替田中仁左衛門被仰付、稼人数相掛当分稼方仕候処、追々銀鉛吹調相応之金高差出候得共、其後天保十五辰十二月御兵具所支配被仰付候(文献2)

櫓木鹿倉(Ag)

一 牛根之内櫓木鹿倉
 右宝暦七年丑四月銀山試堀被仰付置候得共、為差立儀無之、長々堀方無御座候(文献1)

錫山(Sn)

一 出水栗毛野谷牟礼五百山両鹿倉之内錫山寛延三年午十月試掘被仰付候処、正錫九拾八匁吹調、其以後稼方不仕、其通ニ而被召置候付、宝暦十年辰八月山床御取揚被仰付候(文献1)

 薩摩郡

長野(Au)→山ヶ野鉱山

一 長野・山ヶ野金山之基ハ島津図書久通御家老職以前私領祁答院宮之城之内佐志村之川中ニ而真砂を取揚候者有之、其真砂をゆらせ候得ハ砂金有之候付、此川上ニハ金気可有之と存寄候ニ付、為可尋之石見銀山為罷居、内山与右衛門と肥後国宇都郡半屋為右衛門を宮之城ニ止置、二三ヶ年之間曽木本城長野辺之山谷川迄も経歴させ候処、寛永十七年三月廿二日永野内於宍焼谷川中ニ彼与右衛門金賑石を見付候より土中を披候付、図書為堀出候砂金を捧、太守光久公御参府之時言上候、就夫猶以可為堀由、御諚候付而為堀之候而砂金三百両江戸被差上、被相伺候処、六月廿五日伊勢兵部貞昌被為召、猶々堀せ、追而御申候様ニと被仰渡候間、段々堀之、同十八年八月廿八日砂金九百八拾両余被献之、翌十九年正月十四円金山被成御給之旨、被仰出、奉行北郷佐渡久加自他国之人数、弐万余人相集、佐渡も令在山堀出金不可勝計、道程壱里余山坂を越、大隅桑原郡横川之内山ヶ野迄一囲ニ柵を結其中を堀候、依之薩州之長野、隅州之山ヶ野両国境自仁田と申所境木有之候事
一 寛永弐拾年春天下飢饉人民悩候折節ニ而金山堀候儀被召留旨被仰出、被相止候、然処御借入銀及弐万貫目御返済之御方便無之付、再金山御免之御願、松平隠岐守様・神尾備前殿御取次を以被仰上候処、明暦二丙申年五月島津市正忠広・鎌田源左衛門政有御城ニ被為召御免之旨被仰出候政、同年十一月より再堀披之候、此時より寛文年間迄奉行島津図書久通、後島津中務久茂・島津帯刀久元・新納又左右衛門久了・肝付主殿久兼・島津大学忠守・平田新左術門宗正・祢寢丹波清雄・新納市正久珍・川上弐部久重・種子島弾正伊時・堀四郎太夫興昌相勤候事
一 長崎西田地を堀、金子出候付 【関西、関東限定】取付サービス品BH レガシィ ツーリングワゴン アイライン【ジーコーポレーション】G-square LEGACY BH5 MC前 アイラインガーニッシュ(ABS製)、宮之城佐志村迄堀潰候、宝ハ納候得ハ、御朱印之田地潰候儀、久通嘆、其替地新田開初候由、金山玉金代之内五部銀と申ハ御領山ニテ金堀出候付、御礼銀壱当と申ハ山帥相労、可堀無助力者も有之候ニ付、米為可相渡納候、此壱当銀之余計を以、国分之郷中流れ廻り、地潰有之所を図書見立を以、新川堀候入用銀ニ大分相払候、就夫古川田地ニ成、高五千石余出来候、今ハ金山之田金減壱当銀を以山帥被下米不調、五部銀も加候得共、不足候、乍然右新田ハ此以前壱当銀之内ニテ出米候、納米過分候問、御損亡無之考ニテ候、且又元禄十二年之比迄ハ金山御利潤銀を以、時々銀三拾貫目程も古御借銀御成崩候問、残少ニ能成候、然処漸々山相衰、正徳三年巳七月より同六年申六月迄山中三ヶ年廻にしてを壱ヶ年ニ銀百貫九百弐拾目余引入候事
一 長野山ヶ野金山正徳年間以来引入銀相立候処、延字四卯年より少々宛出金相増、明和元年申七月より同二年酉六月迄出金拾三貫四拾三匁九分有之、御利潤銀八貫七百七拾五匁五分九厘余有之候(文献1)

甑島(Cu)

一 甑鳥銅気有之、享保十七子四月より試掘被仰付、鋼三拾貫目余吹調候処、本手ニ差迫、延享三寅二月山床御取揚被仰付候、亦々宝暦五亥十月試掘被仰付候得共、堀方取付及延引候ニ付、宝暦八寅三月山床御取被仰付候(文献1)

松野(Au)

 この付近には旧藩時代の採掘跡と称する所もある。昭和11年4月(1936)より三善信房によって本格的に開発が進められ、…(中略)…鉱山付近の地質はいわゆる千貫火山噴出物よりなる。渓谷の左岸および鉱床の存在する右岸の下部(河岸よりの坑口付近)に分布する角閃石安山岩質火山砕屑岩は、軽石、角閃石安山岩などの角礫と、少量の頁岩破片(なかば円礫)などを暗灰色の凝灰質物質で充填するもので、鉱床の下盤をなしている。上位の角閃石安山岩は鉱床近くでは珪化されて緑青灰色緻密質となる。…(後略)…(文献6)

 伊佐郡

幸田(Au)→幸田鉱山

 当鉱山はかつて山ヶ野鉱山の一部であったが、明治初年の鉱業法施行時に切り離され、…(中略)…1937年に中止した。…(中略)…付近の地質は変朽安山岩化を受けた安山岩よりなる。鉱床は同岩中の含金銀石英脈で国見岳山頂の西700mの谷底に池野